明日≒明日の風が吹く

前向きにチラ裏

大人になったあなたへ

「大人って自分に都合の良いことしか言わないよね」

 

そんな若人の囁きを、大人になっても忘れたくない。

 

誰にも未来はわからないものだ。

だから、嘘と都合には線引きが存在しない。

 

若いからこそ、嘘だと思って傷ついたりとか、極端な目線で判断を下すこともあるだろう。

 

私は大人を擁護したい訳じゃない。

自分を信じて、そして自分に裏切られた日が、今も繰り返し自分を責め続けるからだ。

 

それでも自分を認めたいと思い、その為に自分よりももっと大人な人たちをねじ伏せるべく現実に身を投じるのは

きっと単に私が負けず嫌いなだけだから。

 

私の間違った道。

願わくば正しき道であることを願う。

苦しんでいるあなたへ

世の中から輩出される色んな小説やら漫画やらゲームやらって大概主人公が若い。大体10代から20代。

 

何故だろう。

 

そういう、作品のターゲット層には主人公の年齢を近づけた方が共感を得やすいという建前はあると思う。

 

とか、若い頃の考えがいささか猪突猛進な傾向であることは歳を重ねる毎に何となく気付くものだから、少年たちを仮想でリアルに描けるのもまた歳を重ねた者達になるという大人の事情もある気がする。

 

だがそれを考慮しても、「人生のピークとは10代後半から20代前半で、夢を叶えるのもそのくらいの時期が一番良い」

だなんて、なんというか根拠としては乏しいような感覚が、20代後半に差し掛かって改めてのしかかってくる。

 

それは現実的過ぎる。矛盾しているが夢はいくつになっても追いかけて良いものだ、と私も思う事ができる。

 

「改めて」と書いた理由としては、自分が幼い頃、教師から「あなたは他人より少し大人だから」と言われたからである。

あの教師がお世辞抜きでそれを私に言ったのだとしたら。

 

というか私はそれが誇らしくて、子どもなりに周りより頭一つ出てんだぜとか正直思っていた。

これはつまり醜いプライドでありエゴである。

 

では若い内に他の人間を出し抜く事が何故出来なかったのだろうか。

ぶっちゃけ、私は知っている事や気付いていることを他人に言いふらすことはあまりしてこなかった。

めんどくさい時はしゃべらせといた方が身の安全が確保できると考えていた。

私の周りには常に自分より「大人な立ち位置」がいた。私は常にアンダースタンドだったのだ。

 

セルフブランディングができる連中は基本的に相手をアンダースタンドさせることができる人間だろう。

中身が伴っていなくても、それだけで相手を打ち負かすことができる。

 

そういう相手に自分を追いかけさせれば立派な流行もの好きの完成である。

なお、流行に乗せられている人間をバカにする人間は、バカに見つかるという事を理解できないと思う。

 

 

 

そういうことを考えて来ながら、ろくなアウトプットもせず抱え込んできた私は孤独感に苛まれ自滅寸前まで来てしまった。

少し大人だった私は年齢的に本当に大人になったし、周りの人間も大人になった。

でもあの日くらいから私はあんまり前へ進んでない。私みたいなのをアダルトチルドレンと呼ぶのだろうか。

 

価値に気づきながら何もできなかったとボヤいて、できなかったことを他人のせいにして、私は自分を許せなくなった挙句逃げたいと願っている。

それは社会的に、現実的に虫が良すぎる話である。

 

苦しんでいるあなたへ。

それでも、私はそうではないのだと言いたい。

自分が自分であるということ

戒めの意味を込めて、自分は自意識が高い自覚がある

誰よりも自分を特別だと思いたいし、あなたを独りではなくただ一人として見つめていたい

そう願ってきたが現実は人間社会の枠組みで生きる事が大半だ

 

はっきり言って枠にハマった方がローリスクで安全な現代だ

平成が終わりに差し掛かった激動の日本社会、いくら個人という力が強くなる時代になろうとも

型にハマる生き方が今後も根強く勢力を保ち続けるに違いないと自分は思ってる

 

自分は型にハマりたくないわけではなく

型にハマった生き方を続けることに将来的な悲観をしているわけでもない

型にハマれない自分を受け入れられず、否定している

 

最近、ADHDではないかと自分を疑いはじめた

先延ばしや物忘れ、何故か出かけた後に脈絡もなく忘れ物を思い出すクセ、色んなことを思い付くことについて悩んだ試しがないこと

 

正直、自分探しがそれで解決することを切に願っている

藁にもすがる思いで

 

例えば自分が本当にそれに該当し薬剤が投与されたとして、自分がただの怠慢な塊なのか、それともそれで社会人らしさを取り戻したりできるのか

もし分かれば少しは自分という奴を救うことができるような気がする

先日、周りの人間が信用できないんだよねーという話を親とした。

 

街中ではよくキャッチに声をかけられる。

お前がひ弱そうだからとか優しそうだからだと親は吐き捨てた。

 

まあキャッチは仕事でやってる人間たちだから放っておいたらそれで済む。

 

問題は数少なくなる知人たちの方。

最近、とある大学の後輩が、私の持っているエレキギターの装飾パーツをトルコ石に変えましょうと言ってきた。

 

はっきり言って楽器の装飾、しかもエレキギターでそんな交換をすることは、演奏上ではほとんど効果が無い。

これをやると技術料が5万円もする。なお、これは全てその後輩のマージンとなる。私は狙われていると思った。

 

色々なやつがいる。

他人に車出させて自分はお金一切出さないやつ、

お金ないと宣っていつも貸してくれと言ってくるやつ、

収入に見合わない店へご飯行こうと誘ってきて一銭も払わないやつ。

 

そういうのに付き合う事が自分の今後のタメになると思い込んでいたのが悪かった。

自分は酒類が呑めないのでアッシーを担当することがよくあった。

3年目にして5万5千キロ走り、新車だった軽自動車の初の車検代はバッテリー交換だけで5万円も予算オーバーした。

 

そんなことをつらつらと親に話していたら、お金持ちだと思われてるんじゃないのって吐き捨てられた。

実家の食卓には食べきれない程の量の料理。家族の時間が大事と言いながら聞こえないからって大音量で流されるテレビ。食べ切るのも喋られる雰囲気にならないのもイライラして退席すれば癇癪をぶつけられる。

私の人生は、誰かのお供え物?

考え方のクセ

とある元カノと付き合っていた当時、その子に「25を超えたら価値観が固定されるらしいよ」と言われたことがある。

 

私には「価値観」とかいう言葉の意味がよくわからなかったのだが、仮に価値観の意味が「人生を生き抜く上で重要視するもの」とするならば、彼女の言う「価値観」には少々現実味がなかった。

 

彼女は社長令嬢で大胆で、そして世間知らずだった。1度訪れた場所には、どんなに美味なグルメがあろうとも絶対に2度目はない。珍しい体験が出来るのであれば治安が悪い場所であろうとリスクを顧みない。常に「価値観」を更新するために新たなものに手を出すべきだと彼女は意見した。

 

私の「価値観」は、自分や家族が人として生き抜く上で危険は避けることを重要視する。

安心がある場所に何度も足を運ぶ。好きなご飯があると分かっている所に行くし、危険な連中が少ない箇所を選んで行く。お金がないなら出費が発生しやすい外出はしない。

 

この価値観のややこしいところは、安心できるコミュニティを見つけてもコミュニティは流動的に人が変わるため、常に新しい場所を探さなきゃ行けないこと。高校や大学とかみたいな卒業まで短い連中しか集まらないコミュニティはあっという間に変化するから友達もあっという間に減る。就職しても会社の居心地が悪いと、すぐ退職する。

 

まあ、変な所で意気投合して私達は結局2年程度お付き合いして結局「価値観」がチグハグなことにも気付かず痛々しい別れ方をした。それでも2年間、彼女から言わせれば私は大事にされていたらしい。

 

多分だが、大胆不敵な彼女には大胆不敵な男が似合う。僕のようなサラリーマン体質でサラリーマンがお似合いのくせに会社に身を任せられない中途半端な人間よりも。

 

自己肯定感がたまらなく低くて、たまに死にたくなる。できるなら人生強くてニューゲームでやり直したい。25なんかとっくに超えた。固定された価値観というか、自分らしさという檻の中で私はただ孤独感と絶望感に襲われ続けるのだろうか。

亡霊

SNSが広告だらけになってあまり真剣に観なくなってから久しい

 

やってる知人も割と残っているけれども「どこどこ行ってきた」「子どもが大きくなってきた」とか何とか的な感じ

 

否定はしないんだけど私が見たり聞いたりしたいのは、

誰かの話を見てきたあなたのことじゃなくて、あなた自身の話

 

制裁は僕に下る

自分自身はコンプレックスの塊だという自覚がある。

学歴が三流だとか、背が低いとか、そういうものを世間ではネガティブな感情として敬遠しているように思う。

 

まあ、コンプレックスを抱えるのは良い事ではないと思う。

過去に他人から他人のコンプレックスを激しくぶつけられた時、自分は付き合いきれないと思った経験がある。

その他人と付き合いをしようと思ったキッカケが、よく言われるコンプレックスを受け入れようという試みであったのが尚良くなかった。

僕のやり方は、ただアンダースタンドしただけだった。

頭で受け入れようと思っても心で理解が出来ず、形としては抑え込もうとして尚更悪い循環に陥ってた。

 

こういう時の処世術を幼少期に理解していれば、と思う。

幼少期の自分は周りに興味がなさすぎて思い通りにいかないとすぐ泣くやつだった。身近な人、先生とか親とかがよく助けてくれた。

多分、それは良くなかった。自分で自分を助ける方法がこの時に身につかなかった。もしくはその才能がなかった。

先生や親が対応したことによって僕には別途報復があったから、周りが嫌な気分になった事には気付いた。周りの顔色を伺うようになった。自分は三軍レベルであって表立って目立つ行為をするのは相応しくない、と思った。

 

しかし、困難は続く。

元々が甘く自己中な性格だったので、他人と気持ち良くマナーを守るということがマニュアル通りにしかできない。周りには良い顔しといて実態は協調性がないことに気付いたのは中二病真っ盛りを経験した後。

(今からでも遅くないというけど、気付くなら早いに越したこともないと思う)

 

今、恥の多い人生を歩んできた、という言葉に無駄な共感をする。

世の中は所詮椅子取りゲームなのだから、僕みたいな三軍だったやつに対しては、僕自身が忘れた頃、隙を見せると当たり前のように刺激してくるやつの方が圧倒的に多い。

その刺激してくるのが自分自身でさえあり、これほど最悪なことはない。

 

コンプレックスを受け入れようという言葉が、死刑宣告にしか聞こえない。