明日≒明日の風が吹く

前向きにチラ裏

決まりきったような

毎日に耐えるのは割りと慣れた

 

薬を飲むために無理やり食べなきゃいけない朝食

無理して食べるくせにやたら大量に出てくる食料とその料金

現場の見栄えがよくないからって強制される短い髪

帰ったら放置されている、臭いを放つ同居人の汚れモノ

誰かの代わりの出勤以外何者でもない毎朝の早起き

 

ああ、憂鬱だ。

しにたいヤツって大体矛盾している

大体毎日しにたいと思っている。

そんなことを精神科の主治医に話して、医師は「案外そんなもんなんだね」と言った。

 

どういうことなのかを聞いた所、以前のカルテから判断するに、かなり鬱の確率が高かったらしい。

 

まあ鬱自体は社会人1年目で診断書が出て休職した経緯があり、あれから4年。

思考に捕われて色んなことに対して無感動になる。

 

元々、興味がないフィールドでの勝負にはまるで歯が立たないタチであったが

「別にそんな自分でいいや」という気持ちが先行して、楽しみを見い出せない。

 

そんな中で上述したようなことを言われると、ネガティブな思考も板についてきたって感じだ。

周りがあまり思ってないような事だし、改まって話す程のこととも思ってはいない。

人によってはそれが生き辛いものだと指摘するだろうと思う。

 

けども、明日を生きる糧を稼ぐことで、今は良いというか、精一杯なのかもしれない。

私は、鉛筆さえ「正しい握り方」ができなかった。

30分くらい、どうしたらいいか考えた。

少し昔の自分が考えた理想像に、どうしたら近づけるのかと。

 

私は、男児として生を受けた。

私は、運動ができなかった。

私は、勉強ができなかった。 

私は、どちらかと言えば天然だった。

私は、背は高くなかった。

私は、誰からも軽くあしらわれた。

私は、恩師となる人がいなかった。

 

これだけのコンプレックスが列挙できた自分にちょっと茫然とした。

 

この世は地獄だと思う。

大人になったあなたへ

「大人って自分に都合の良いことしか言わないよね」

 

そんな若人の囁きを、大人になっても忘れたくない。

 

誰にも未来はわからないものだ。

だから、嘘と都合には線引きが存在しない。

 

若いからこそ、嘘だと思って傷ついたりとか、極端な目線で判断を下すこともあるだろう。

 

私は大人を擁護したい訳じゃない。

自分を信じて、そして自分に裏切られた日が、今も繰り返し自分を責め続けるからだ。

 

それでも自分を認めたいと思い、その為に自分よりももっと大人な人たちをねじ伏せるべく現実に身を投じるのは

きっと単に私が負けず嫌いなだけだから。

 

私の間違った道。

願わくば正しき道であることを願う。

苦しんでいるあなたへ

世の中から輩出される色んな小説やら漫画やらゲームやらって大概主人公が若い。大体10代から20代。

 

何故だろう。

 

そういう、作品のターゲット層には主人公の年齢を近づけた方が共感を得やすいという建前はあると思う。

 

とか、若い頃の考えがいささか猪突猛進な傾向であることは歳を重ねる毎に何となく気付くものだから、少年たちを仮想でリアルに描けるのもまた歳を重ねた者達になるという大人の事情もある気がする。

 

だがそれを考慮しても、「人生のピークとは10代後半から20代前半で、夢を叶えるのもそのくらいの時期が一番良い」

だなんて、なんというか根拠としては乏しいような感覚が、20代後半に差し掛かって改めてのしかかってくる。

 

それは現実的過ぎる。矛盾しているが夢はいくつになっても追いかけて良いものだ、と私も思う事ができる。

 

「改めて」と書いた理由としては、自分が幼い頃、教師から「あなたは他人より少し大人だから」と言われたからである。

あの教師がお世辞抜きでそれを私に言ったのだとしたら。

 

というか私はそれが誇らしくて、子どもなりに周りより頭一つ出てんだぜとか正直思っていた。

これはつまり醜いプライドでありエゴである。

 

では若い内に他の人間を出し抜く事が何故出来なかったのだろうか。

ぶっちゃけ、私は知っている事や気付いていることを他人に言いふらすことはあまりしてこなかった。

めんどくさい時はしゃべらせといた方が身の安全が確保できると考えていた。

私の周りには常に自分より「大人な立ち位置」がいた。私は常にアンダースタンドだったのだ。

 

セルフブランディングができる連中は基本的に相手をアンダースタンドさせることができる人間だろう。

中身が伴っていなくても、それだけで相手を打ち負かすことができる。

 

そういう相手に自分を追いかけさせれば立派な流行もの好きの完成である。

なお、流行に乗せられている人間をバカにする人間は、バカに見つかるという事を理解できないと思う。

 

 

 

そういうことを考えて来ながら、ろくなアウトプットもせず抱え込んできた私は孤独感に苛まれ自滅寸前まで来てしまった。

少し大人だった私は年齢的に本当に大人になったし、周りの人間も大人になった。

でもあの日くらいから私はあんまり前へ進んでない。私みたいなのをアダルトチルドレンと呼ぶのだろうか。

 

価値に気づきながら何もできなかったとボヤいて、できなかったことを他人のせいにして、私は自分を許せなくなった挙句逃げたいと願っている。

それは社会的に、現実的に虫が良すぎる話である。

 

苦しんでいるあなたへ。

それでも、私はそうではないのだと言いたい。

自分が自分であるということ

戒めの意味を込めて、自分は自意識が高い自覚がある

誰よりも自分を特別だと思いたいし、あなたを独りではなくただ一人として見つめていたい

そう願ってきたが現実は人間社会の枠組みで生きる事が大半だ

 

はっきり言って枠にハマった方がローリスクで安全な現代だ

平成が終わりに差し掛かった激動の日本社会、いくら個人という力が強くなる時代になろうとも

型にハマる生き方が今後も根強く勢力を保ち続けるに違いないと自分は思ってる

 

自分は型にハマりたくないわけではなく

型にハマった生き方を続けることに将来的な悲観をしているわけでもない

型にハマれない自分を受け入れられず、否定している

 

最近、ADHDではないかと自分を疑いはじめた

先延ばしや物忘れ、何故か出かけた後に脈絡もなく忘れ物を思い出すクセ、色んなことを思い付くことについて悩んだ試しがないこと

 

正直、自分探しがそれで解決することを切に願っている

藁にもすがる思いで

 

例えば自分が本当にそれに該当し薬剤が投与されたとして、自分がただの怠慢な塊なのか、それともそれで社会人らしさを取り戻したりできるのか

もし分かれば少しは自分という奴を救うことができるような気がする

先日、周りの人間が信用できないんだよねーという話を親とした。

 

街中ではよくキャッチに声をかけられる。

お前がひ弱そうだからとか優しそうだからだと親は吐き捨てた。

 

まあキャッチは仕事でやってる人間たちだから放っておいたらそれで済む。

 

問題は数少なくなる知人たちの方。

最近、とある大学の後輩が、私の持っているエレキギターの装飾パーツをトルコ石に変えましょうと言ってきた。

 

はっきり言って楽器の装飾、しかもエレキギターでそんな交換をすることは、演奏上ではほとんど効果が無い。

これをやると技術料が5万円もする。なお、これは全てその後輩のマージンとなる。私は狙われていると思った。

 

色々なやつがいる。

他人に車出させて自分はお金一切出さないやつ、

お金ないと宣っていつも貸してくれと言ってくるやつ、

収入に見合わない店へご飯行こうと誘ってきて一銭も払わないやつ。

 

そういうのに付き合う事が自分の今後のタメになると思い込んでいたのが悪かった。

自分は酒類が呑めないのでアッシーを担当することがよくあった。

3年目にして5万5千キロ走り、新車だった軽自動車の初の車検代はバッテリー交換だけで5万円も予算オーバーした。

 

そんなことをつらつらと親に話していたら、お金持ちだと思われてるんじゃないのって吐き捨てられた。

実家の食卓には食べきれない程の量の料理。家族の時間が大事と言いながら聞こえないからって大音量で流されるテレビ。食べ切るのも喋られる雰囲気にならないのもイライラして退席すれば癇癪をぶつけられる。

私の人生は、誰かのお供え物?